人生しょせん暇つぶし

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ホリエモンこと堀江貴文さんの「ゼロ」を読んだこと改めてまとめてみた つもり

堀江貴文 ゼロ

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく」読了しました。 ひとひま です。

読み終えた直後にツイートしていますが,ブログでまとめておこうと思いました。


ここ最近本を読むときは,速読に近い流し読みをすることがほとんどだったのですが,久しぶりにじっくりと通読しました。時間もあったので一日で読み上げました。

全体を通しての感想を一言でいうと「仕事にハマって楽しもう」だろうか。

最近の若者は,という言葉は好きではないがなんだか泥臭い仕事をやりたがらない若者が増えているように感じています。仕事はもっと泥臭いものであり,がむしゃらにやってきた記憶があるが,なんだかきれいな形を求めているような気がする。

ほんとにハマっているのだろうか?楽しんでいるのだろうか?仕事はお金を稼ぐだけの手段でしかないのか?といろいろ考えることがあった。

オヤジ臭くなるが,もっと知りたい気持ちを満足させるためにガンガン調べ,遅くまで仕事をしたものだが,今はそれがない。表面的に仕事をこなしているだけに過ぎないのだろう。

社会の風潮もワークライフバランスという言葉の元,残業は悪だ,と言わんばかりだ。もちろんなんでも時間をかけてやればいいというわけではないが,時間をかけないとつかめないこともあるのではないかと思う。ハマった,没頭していた,感覚である。その無茶をした感覚があることで,どこまで踏み込めば良いかの見極めが出来るようになるような気がする。

ただ限界を見極めてしまうと,そこが成長の限界になってしまうから,「心の問題なのだ。」というのはこういった局面でも出てきます。

ジェームズ・アレンが書いた「「原因」と「結果」の法則」に以下の言葉があります。

「人は心の中で考えたとおりの人間になる」

限界を見極めるのではなく,感覚を見極めるというほうがより正解かも。とにかく楽しくハマってやり切るという体験が必要だが,しづらくなっている世の中に感じる。

もうひとつ「自由とは、心の問題なのだ」を見た時に思い出したのが,ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」です。ナチスドイツの強制収容所における過酷な体験記ですが,そのような過酷な状況の中でもナチスドイツに侵されない「心の自由」があることを伝えています。自分の考えを決められる,選択出来るのは「自分」だけであり自由であると。どんな運命的な状況でも「それでも人生にイエスと言う」ことができるのだ。と。

他人に決められるのではなく,自分自身で決めることが重要なのである。

今回「ゼロ」を読んで,いろいろ考えてみました。自分にとって仕事とは何なんだろうか。今仕事を楽しんでいるのだろうか。昔は確かに楽しんでいたが,いつの間にか仕事で上司という役を演じているだけなのではないかとふと考えてしまった。

働いているのではなく仕事をしているという感覚か。

平均寿命を考えた時の折り返し地点を過ぎようとしている今だからこそ,もう一度考えてみることが必要なのかもしれない。いろいろなしがらみもあり,文字どおり「ゼロ」になることは難しいかもしれないが,心の中は「ゼロ」にすることが出来るはずだ。自分が選択できることだからだ。心をゼロベースにして,今一度,今自分は何をしたいのかを考えて見たいと思う。見栄をはる必要はない。小さなイチを足すために,少しでも前に進めたいと思った。

最近自己啓発本を読むことが多かったが,なんか難しく考えすぎていたのかもしれない。もっとシンプルに考えればよかったんだ,ということをこの「ゼロ」から教えられた気がします。




「ゼロ」のkindle版は11月5日発売予定で,ただいま予約受付中です。


実はぎりぎりまでkindle版にしようか迷ったのですが,この連休で読みたくてリアル本を買ってしまいました。ただ近所の本屋に言ったら「サイン入り」が売っており,早まってしまったかも。ちょっと悔しい。